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代替品としての演技(あるいは文学的雪かき・のようなもの)

by ライスには塩を

はいコンバンワ。生きてます。

突然ですが、私の願望はー

「使える」代替品であるコト、です。

手を変え品を変え、繰り返してきた話のような気もしますが。そんな風にばかり考えちゃう人生だから、仕方ない。具体的に言うと? うーんそうだな、例えば…

代車なんて最高ですね。

いつも乗っているビートル(フォルクスワーゲン)を車検に出したら、アルト(スズキ)がどーんと貸し出されちゃった、みたいな。しぶしぶ乗ってみたら、「小回りも効くし、コレはコレでいい…アルト使えるじゃん」って感慨抱きましたわ、っていう。そういう話に目がないです。

ごくシンプル、でも機能は満たす。お手軽、安い、量産品。何より大切なのは、「シンプルで手軽で安い」なりの独自の魅力が、厳然と存在すること。

確固としたチープ&イージー&チャーム、というものにめっぽう弱いワケでしてね。

***

私自身も「代替品でありたい」、そう常に願っています。

ビートルでなく、アルトでありたいのです。いつでも。ものを書くとき、仕事をするとき。母であるときまでも。

理由は…

・いつも逃げたいから?
・私が死んでも代わりがいるもの?

NO!それはさすがに否定したい。そこまで後ろ向きじゃないと信じたい。

生きていくさなか、何かしらの役割を演じる機会って多いですね。

私にとって、社会人として存在すること/母として生きることは、どこかしら必ず演技なのです。完璧に演じようとすれば、いずれ心が完全に死んでしまうに違いありません。そのひずみは、子供たちに必ず現れることでしょう。

私は

母/正社員/妻
にはなれないかもしれないが、

母モドキ(実は超年上の友達)/正社員モドキ(ベテランパート)/妻モドキ(ただの親友)
には、なれる。

そう思うだけで、とてもシックリくるのだから仕方がない。これはもう、仕方がないのです。

***

きっと何かの代替品にすぎない、この雑文も。もしも誰かを惹きつけたなら…

お目汚し、ごゆるりとお付き合いくださいませ。


ライスには塩を
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