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刺激・怠惰・悲しみ

by ライスには塩を

ゲームだと思えなければ、マストドンは続けられない。

これは本当にゲームなのだ。言葉の応酬が引き起こす興奮であって、実はコミュニケーションでも何でもない。もちろんときに、コミュニケーションが発生することはある。あたたかい心のふれあいだってある。けれどほとんどは、単なるTRPGに過ぎない。それは前のブログでしつこく述べた。今回はその補足。

ゲームが何に寄与するかといえば、頭脳の一部を持て余した人々の余興だ。
彼らは絶えず刺激を求めている。刺激だけを燃料に、ゲームは盛り上がる。ふつうの人は来てもぜんぜん面白くないと思う。そしてこれが最も大きな問題なのだが、

いかなる刺激も、急スピードで鮮度は下がっていく。

そして、「これは刺激を介したゲームらしい」と気づいたとき、ひどく失望してしまう悲しみ。

私はとても理解できる。人と心を通わせるのが前提で生きてきた人なら、とりわけそうだろう。大概のメンバーは気づいてすらいない、もしくは無視している。これは単なる地下の、小さな小さなビリヤード場で行われるカードゲームにすぎないことを。命ぎりぎりの線でコミュニケートしたつもりが、アイデンティティを安値でベットしただけだった、ということを。

また、別の失望も目にする。

定められたルールを守っていたはずなのに、突然ゲームが成立しなくなってしまう。以前の半分も、手ごたえを得られない。最初はよくても、だんだん反応が鈍くなっていく。刺激を重要視したゲームに乗る限り、それは避けられない運命だ。ルールは変わる、まったくの不確定要素によって。それに気づかず、ほんの少しずつ孤独になっていく。

マストドンはすでに、刺激を失い始めている。

これはjpでもPowooでも、ニコフレでも同じだ。確かなことだ。離脱は始っていて、おそらく止めることが難しい。残る者は同じ刺激で耐えられるか、むしろ安心するのか?それとも、さらなる激化を生むのか。

私は?
飽きている?

うーん、微妙なところ。比較的ゲーム要素の少ない、まったりゾーンにいるから、あまり。でも、ゲームであることに何ら変わりはない。新しい人と知り合うようにして、刺激は得ている。でも、結局そういうことではないかもしれない。

ひとつ希望なのは、このカードゲームができる場所は、他にあまりないということだ。カードゲームそのものに強い魅力を感じられるひとが、どれくらいいるか。

それは、これから分かる。


ライスには塩を
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